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『異端者の家』ネタバレ全開感想と考察|「信じたいものを信じる」私たちの危うさと、物語のラストが意味するもの

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※この記事は、この作品を鑑賞した方へ向けた、結末までを明らかにしているネタバレ全開感想です。
ラストシーンにも思いきり触れています。
未鑑賞の方は、ご注意ください。

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異端者の家


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『異端者の家』の主題|「信じるとはどういうことか?」

この映画の主題を一言で言うと、「信仰とは何か?」ということだと思います。
もっと簡単に言うと、「信じるとはどういうことか?」です。

人が何か(この場合は宗教、神という存在)を信じるとき、何を根拠にして「信じる」のか?
信じる根拠を揺るがされたとき、人はどうするか?

信仰を捨てるのか?
それとも、信じ続けるのか?

信じ続ける場合、その根拠となるものは何か?

そういう、「信じる心」の本質を追求していくような会話が、リードと2人のシスターの間で交わされます。

信仰の根拠を揺さぶる、リードの周到な問いかけ

リードは当初、「たったひとつの、本物の宗教とは何か? それを私は探している」と言っていました。
その答えを求めて、2人にいろいろなことを問いかけ、自分の宗教観についても話します。

ただそれだけなら、宗教問答、意見交換で済むんですが、リードの真の目的は別にありました。

それは、「信仰(何かを信じる)とは、支配である」ということを、彼女たちに体感・実感させるということです。

そのために彼女たちは、信仰心を揺るがすような問い詰めをされたり、家に閉じ込められたり、悲惨な光景を目の当たりにさせられたり、辛い思いをしたり、身体的に痛い目にあったり、という災難に見舞われることになるのです。

『異端者の家』【考察】宗教の正当性と「証明不可能問題」

物語を理解するために:モルモン教の簡単な説明

彼女たちが信仰しているのは、モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)と呼ばれる、キリスト教系の新宗教です。
1830年に創設されたそうです。

ジョセフ・スミスという創始者が、神からの啓示を受け、それを預言書にまとめたものをモルモン書、というらしいです。
キリスト教の三位一体を否定していることや、厳しい戒律があること、魔法の下着という独特の下着を身につけていることなどで有名です。

厳しい戒律によって、飲酒だけでなく、カフェインの摂取も禁じられています。
紅茶もコーヒーも緑茶も飲めないなんて、本当に厳しいです。

モルモン教の成り立ちと、一夫多妻制の変遷から見えるもの

神からの啓示、言葉を受けた人を“預言者”といいます。
ジョセフ・スミスは神の言葉を聞いたのだと、自分は預言者だと言って、モルモン教を創始したわけです。

かつてモルモン教は、一夫多妻制を導入していました。

創始者であるジョセフ・スミスが、神からの啓示として一夫多妻を主張し、実践していたため、信者も同じようにしていたのです。
それは子供を多く産んで信者を増やすためでもあったそうですが、この一夫多妻制度が、のちにアメリカで問題視されました。

このことが原因でモルモン教の布教が禁止されそうになると、当時のモルモン教の指導者(ジョセフ・スミスではありません)は次のように言いました。

「神から、アメリカの法律に従うようにという言葉を預かった(=これが「預言」です)。一夫多妻制度はやめて、これからはアメリカの法律に従い、一夫一妻とします」

このエピソードを聞くと、こんなふうに思うんじゃないでしょうか?

それ本当に神の言葉なの?
ただ自分(ジョセフ)が好色なだけだったんじゃないの?
それを正当化するために、一夫多妻制にするようにという神のお告げがあった、と言ったんじゃないの?

そしてそれをやめるように、神がまたお告げの言葉をくれたなんて、都合が良すぎない?

普段はあまり宗教のことを考えない日本人は、特にそう思うような気がします。

宗教の正当性を問うリードの主張

リードもまさに、この点を彼女たちに問いかけます。
しかし彼女たちは、モルモン教信者にとっての預言者であるジョセフの言葉を信じているので、こう答えます。

「最初は一夫多妻という啓示を与えたけれど、アメリカの法律に違反するのは良くないからと、信者を救済するために、あらたな啓示があったんでしょう」

外部から見たら、それ明らかにおかしなこと言ってるよね、という事実を突きつけられても、彼女たちの信仰は揺らぎません。

そんな2人に、リードはさらに問いかけます。

「彼が言っている“神の言葉”を、君たちは信じているね。だが、彼が本当に神の言葉を聞いたのか、神の啓示を受けたのかは、誰にも証明できない。適当なことを言っているだけかもしれない。それなのに、なぜ君たちは彼の言葉を信じるのか?」

人は「真実」ではなく、「信じたいもの」を信じる

この問いに、シスター・パクストンは少し首を傾げながらも答えます。

「真実を言っていると、感じるから?」

真実を言っていると、自分がそう感じるから、信じる。

つまりこれは、「人は自分の信じたいものを信じる」ということです。
それが「真実」であるかは重要ではないんです。
そんなことはどうでもいい。
信じたいから、信じる。

これは、自分に都合のいいことだけを信じてしまう、それが真実だと思ってしまうという、危うい一面も指し示しています。
信じたいものを信じる、ということは、信じたくないものは事実や真実であっても信じない、ということだからです。

リードが仕掛けた「信仰という名の支配」

ブルーベリーパイの香りが暴いた嘘

ブルーベリーパイのいい香りが漂うリビングで、リードと2人のシスターは宗教問答のような会話を続けます。

モルモン教を布教したい一心のシスター・パクストンですが、リードが宗教観についてどんどん詰めてくることに戸惑います。
リードは「君たちの信じている宗教は本物か? それはどうやって証明するのか?」と理詰めしてくるからです。

何か変だ、と不穏さを感じ、「そろそろ奥さんを紹介してもらえませんか?」と切り出すと、リードはにこやかに「パイの焼き上がり具合を見てくるよ」と部屋を出ていきます。

部屋に残された2人は、テーブルの上で灯されていたアロマキャンドルを何気なく確認します。
するとそこには、“ブルーベリーパイ”と書かれたラベルが貼ってありました。
2人は顔を見合わせます。
ブルーベリーパイを焼いているというのは嘘で、部屋に漂う香りはアロマだったのです。

この時点で、2人はリードが嘘をついていることに気づきます。

「妻がブルーベリーパイを焼いている」

ブルーベリーパイは焼いていないし、おそらく妻も存在しない。
騙された、と気づいた2人は玄関から出ようとしますが、内側から鍵を開けることができず、出ていけません。

そうして家に閉じ込められてしまった彼女たちは、逃げることもできないまま、リードの仕掛けた罠にはまっていくことになります。

宗教と信仰を問う会話劇の面白さ

リードの目的は「宗教とは、支配である」と彼女たちに認めさせることです。
認めさせるというか、理解してもらう、ということですね。

ただ説明を聞くだけでは、真に理解はできません。
「そういうことか」と自分で信じるに足る根拠を見つけ、腹落ちすることで、信じるようになる。
その過程を経なければ、理解したとは言えません。

なのでリードは、彼女たちが「自分で真実(=リードの用意したもの)に気づく」ように、状況を悪化させ、追い詰めていくのです。

その、罠に嵌められ、状況がどんどん悪化し、追い詰められていく様子がホラーなんですが、メインは会話劇なので、その会話がとても興味深かったです。

宗教は「モノポリー」のバージョン違いに過ぎないのか?

「宗教に限らず、いろいろなものが反復されている。違うものだと思っていても、実はバージョンが違うだけで、すべて同じものが単に反復されているだけなんだ」という話をリードは語ります。

“地主ゲーム”というものが開発され、それを他の人が勝手に“モノポリー”と新しい名前を付けてオリジナルゲームとして販売した。
地主ゲームはあまり知られないままだったが、モノポリーは全世界でヒットした。
そして今、モノポリーにはさまざまなバージョンが存在する。

これを宗教に当てはめると、一神教のユダヤ教、キリスト教、イスラム教でまったく同じ説明ができます。

ユダヤ人だけが信じていたユダヤ教。
ユダヤ教徒であったイエス・キリストが神から預言を受け、それを広めたのがキリスト教。
ユダヤ人しか信仰できないユダヤ教と違い、キリスト教は誰でも信仰できます。
そして、新たな預言者ムハンマドが神からの預言を受けて創始したのが、イスラム教です。

この3つの宗教の神は、ヤハウェとか父なる神とかアッラーとか呼ばれますが、同一の神です。
呼び名が違うだけで、信じている神は同じなんです。

つまり、一部の人しか知らなかった地主ゲームが、ユダヤ教。
それをわかりやすく世界に広めたモノポリーが、キリスト教。
さらに新しいバージョンとして登場してきた最新版モノポリーが、イスラム教。

この文脈でモルモン教を語るなら、モルモン教は世界に広がったモノポリー(キリスト教)の風変わりなスピンオフだと言えるのです。

証明不可能問題|神の「実在」も「不在」も証明できない

リードのこういう説明は非常にわかりやすく、かつ興味深くてすごく面白かったです。

これらの宗教を信じている人たちは「そうかもしれないけど、そうじゃない!」と反発するかもしれませんが、私はここで挙がっている宗教の信者ではないので、ただひたすら「面白い、すごく面白いことを話している」と興奮しました。

リードの話や問いかけに、シスター2人は根拠のある反論ができません。

「君たちが信じている“風変わりなスピンオフ”が、唯一の本物の宗教だと、証明できるか? できないだろう?」と問い詰められているわけです。

もっとも、モルモン教に限らず、すべての宗教は、本物かどうかや、神の存在を証明することはできません。
これは長年、宗教学者や科学者が論争を繰り広げていることで、神の実在も不在も、どちらも証明できないのです。

そしてそれを、もちろん彼女たちも知っていました。

映画の後半は、会話劇ではなく、シスターたちの恐怖体験(痛い)の描写になっていくのですが、それも目的は「信仰とは、支配である」ことを“理解させる”ための演出です。

その過程で、シスター・バーンズはリードに殺されてしまいます。
一人になったシスター・パクストンは、リードの用意した“演出”により、「信仰とは、支配である」という結論に達します。

しかし、彼女はわかっていました。
その結論に辿り着くように、自分がリードに誘導されていたのだということを。

『異端者の家』結末の解釈|シスター・バーンズの復活とラストシーンの蝶

祈りに効果はない。それでも「祈る姿は美しい」

信仰や、何かを信じることには、意味がないかもしれない。
なぜなら、信じるに足る、揺るぎない根拠というものが存在しないから。

それを認めたうえで、シスター・パクストンは言います。

「宗教において、“祈り”が何の効力もないことを知っている。
重病患者に対する、そういう実験があったから。
“祈り”を捧げられた人々と、“祈り”が捧げられなかった人々で、病気の治癒や死亡率に差はなかった。
祈りには、奇跡を起こす効果はない。
それでも、誰かのために祈る姿は美しい。
たとえ、何の効果もなかったとしても」

このシスター・パクストンの言葉は、すごくグッときました。
その通りです。

誰かのために祈ったり、願ったりしても、効果はないかもしれない。
だけど、誰かのために本気で祈ること、何かを心から願うこと。
それはとても美しく、尊い、まぎれもない本物の気持ちですよね。

この「本物」だけは、誰にも否定はできません。

シスター・バーンズの「復活」の意味

問答の末、シスター・バクストンはリードに刺されてしまい、とどめをさされそうになります。
そのとき、死んだはずのシスター・バーンズが復活し、シスター・バクストンを助けてくれるのです。
復活はその一瞬だけでしたが、シスター・パクストンは窮地を脱し、瀕死の状態でリードの家から逃げ出します。

このシスター・バーンズの復活は、キリスト教におけるイエス・キリストの復活をなぞらえているんだろうなと思います。

シスター・バーンズは確かに死んだ。
その彼女が、シスター・パクストンを救済するために、復活し、そして再び死者となった。

シスター・パクストンは瀕死の状態だったので、もしかしたら、この復活自体が、彼女の見た幻想、妄想だった可能性はあります。
それでも、信じることをやめなかった彼女に起きたことは、「奇蹟」だったのかな、と思います。

幻想的なラストシーン|あの蝶は奇跡か、それとも幻想か?

映画のラスト、家を脱出し、携帯の電波が届くところにたどり着いたシスター・パクストンに、一匹の蝶が近づいてきます。
蝶に気づいたシスター・パクストンは、蝶の前にそっと手を差し出します。

リードの家に向かう道中で、シスター・パクストンはシスター・バーンズに、こう言っていました。

「私は死んだら、蝶になりたい。
蝶になって、親しい人の指に止まりたい。
頭や、他の部位じゃダメ。
指先に止まることで、その蝶が私だって、その人に気づいてもらうの」

シスター・パクストンが差し出した手の指先に、そっと止まった蝶。
この蝶は、死んでしまったシスター・バーンズなのか。

それとも、この話をしていたのはシスター・パクストンなのだから、実は彼女は逃げ出したものの力尽きてしまい、蝶となって誰かの指に止まった、という演出なのか。

真実はわかりませんが、シスター・パクストンの震える指にそっと止まった蝶と、それを見つめるシスター・パクストンの姿は、とても幻想的で美しかったです。

何が真実か、わからない。
だけど、人は信じたいものを信じる。

私は、シスター・パクストンは助かって、指に止まった蝶はシスター・バーンズがお別れの挨拶に来た姿なんだと、信じます。

このシーンで映画は終わったので、すんごく痛そうな描写があるために、なかなか人におすすめしにくいけど、面白くていい映画だったな、と思いました。

「想像できる痛み」という恐怖|共感性の高い人には向かないかも?

ちなみに、この映画の「すんごく痛そうな表現」ですが、「想像できる痛み」なので、なかなか厳しいものがあります。
R15レーティングは伊達ではありません。

鈍器で殴られたり銃で撃たれたり、というのって、実は痛みをあまり想像できない気がします。
特に銃は、撃たれたことないので、想像するのに限界があります。

でもそれが、ナイフで皮膚を切る、という描写だったら?
何かで皮膚を切ってしまうって、日常でたまに起こりますよね。
カッターナイフで指先を切ってしまった、包丁で、ハサミで、もしくはただの紙きれで。

R15の痛みの表現は、もちろんそんなものとは比較にならないわけですが、あの何十倍、何百倍も痛いんだろうなということは想像できる。
そういう、「想像できる痛さ」の表現が多かったので、共感性が高い人がこの映画を見るのは厳しいだろうな、と思いました。

『異端者の家』まとめ|知的な興奮と、残された幻想的な余韻

映画『異端者の家』で語られている物語は、ホラーというジャンルでありながら、私たちの内面を鏡のように映し出す対話の積み重ねだったように思います。

リードが提示した「信仰とは支配である」という結論は、論理的には抗いようのない説得力を持っているように感じました。
それでも、ボロボロになりながらも信じることをやめなかったシスター・バクストンの姿は、答えのひとつを示してくれたように思います。

幻想的なラストシーンで彼女の指に止まった蝶が、何を意味していたのか。

その答えは、観た人それぞれの「信じたいもの」に委ねられているのかもしれません。

この感想では語りきれないほどに濃密な会話、そして、リードがどのようにして「信仰とは支配である」とシスター・バクストンに「気付かせようとした」のかは、ぜひご自身の目で確認してみてください。

映画の内容とは全然関係ないんですが、シスター2人がリードの家に入ったとき、応接室に「若い頃のリードがソファーに寝転んで犬と一緒に写ってる写真」が一瞬映るんですけど、その写真のリード(ヒュー・グラント)がめちゃくちゃかっこよかったです。

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • 映画『異端者の家』のネタバレを読んで、信仰とは「祈ること」なのだと思いました。
    私自身、信仰心は強くないのですが、毎日家族の健康や野良猫たちの幸せを願って、仏壇に手を合わせています😊
    制度や宗教ではなくても、誰かを想い、祈るという行為そのものが信仰なのかもしれません。
    この映画を通して、そんな気づきをもらいました。

    • 日本人には「祈る」「願う」というのが、宗教とは別に当たり前の習慣になっていますもんね。
      毎日手を合わせているのは、とても意味のあることだと思います!
      この映画、ジャンルとしてはホラーなんですけど、そこからこんな気づきがあるのが、映画のいいところだなと思います。

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