※この記事は、ドキュメンタリー作品『どうすればよかったか?』を鑑賞した方へ向けた、ネタバレありの感想です。
ドキュメンタリーに「ネタバレ」という概念があるのかはさておき、未鑑賞の方や情報を入れずにこの作品を鑑賞したい方は、ご注意ください。
統合失調症の姉、南京錠をかけた母、そして現実を見なかった父。
藤野知明監督が家族を記録した衝撃のドキュメンタリー『どうすればよかったか?』。
なぜ家族は壊れ、父だけが穏やかだったのか。
映画を見て率直に感じた感想・考察記事です。
ドキュメンタリー映画『どうすればよかったか?』|基本情報
『どうすればよかったか?』(2024/日本/ドキュメンタリー)
監督・撮影・編集:藤野知明
制作・撮影・編集:浅野由美子
編集協力:秦武岳志
整音:川上拓也
製作:動画工房ぞうしま
出演:藤野知明監督のご両親・お姉さん、親戚の方
上映時間:101分
配給:東風
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※全国各地で自主上映会が行われています。詳しくは公式サイトで確認してください。
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『どうすればよかったか?』|かんたんなあらすじ
北海道に暮らす藤野家は、両親と長女、8歳下の長男という家族構成の、どこにでもいる4人家族。
両親ともに医師の資格があり、研究をしているという家庭環境で育った長女は、自らも医師を志し、研究をすることを目標として勉強をしていた。
そんな長女が医大生として過ごしていたころ、彼女に統合失調症の症状が現れる。
両親は長女の病気から目を背け、病気であることを認めることなく過ごし、そしていつしか玄関には南京錠がかけられるようになった。
いびつな家族のありようから逃げるようにして東京へ出た長男は、映像関係の学校に通い始める。
長女が発症して18年が経過し、状況はどんどん悪化していく。
それを帰省のたびに見つめていた長男は、姉と両親の姿を記録に残そうと考え、家族にカメラを向けるようになるが……
『どうすればよかったか?』感想|「言いたくない、家族のこと」
自慢の姉、厳しくも優しい両親。どこにでもいる家族の崩壊
医師を志した姉と、教育熱心な父
統合失調症を発症したお姉さんは、8歳下の弟(藤野監督)にとって、自慢の姉だった。
それは両親にとっても同じことで、自慢の娘だったんだと思います。
両親ともに医師という家庭環境にあって、娘も医師を目指して勉強している。
娘が自らの意思で医師を目指したのか、目指さざるを得ないような状況だったのか、強要されたのかは定かではありませんが、映像に残っている記録を見る限り、医師を志したのはお姉さん自身の意思だったように感じます。
ただ、そのうえで、勉強をすること、いえ、娘の教育に、両親、特にお父さんは厳しかったようだ、というのが伝わってきます。
記録映像のお父さんは、お年を召しているせいもあり、穏やかな優しい印象の人に見えますが、子供の教育には厳しかったのかもしれません。
また、映像を見ているとわかるのですが、お母さんがどちらかというと「お父さんファースト」なところがあるので、教育方針はお父さんの意に沿う形、つまり同様に厳しかったんじゃないかと思います。
統合失調症の発症原因は、よくわかっていないそうです。
ストレスなどが関係していると考えられているけれども、よくわからない。
高学歴の教育熱心な両親に育てられ、浪人して医大に入学した女性が、統合失調症を発症した。
そう聞けば、多くの人が「彼女にとって医師になること、そのための勉強が多大なストレスだったんじゃないか」と感じるんじゃないかと思います。
だけど、それが発症の引き金だったのかどうかは、わかりません。
少なくとも、お姉さんはお姉さん自身の意思で、研究などをしたい様子ではあったようなので。
もっとも、自ら望んでいても、それが耐えきれないストレスになるということはあるので、一概には言えませんね。
「異常はない」という言葉にすがり、南京錠をかけた両親
最初に姉を診察した医者が「異常はない」と言った。
それを根拠に、姉の病気による奇行を、両親は見て見ぬふりをするようになります。
姉は大学に通えなくなり、勝手に家を出て行って所在不明になって警察に保護されて連絡が来たりするなど、問題が家庭の外にも広がっていくようになると、両親は家に鍵をかけるようになりました。
姉を家に閉じ込めるために、玄関に南京錠をかけて塞いだのです。
そのため、姉は外出することができなくなってしまいました。
カメラが捉えた「穏やかな父」と家族の姿
奇行も「ただの癇癪」? 現実から目を背ける穏やかな笑顔
そんな両親と姉の姿を同じ家で見続けることに耐えきれず、弟である藤野監督は実家のある北海道から離れます。
上京し、映像学校でカメラを学んだ監督は、両親と姉の姿を記録するべきだと感じ、帰省のたびにカメラに収めるようになるのです、
映像を見る限り、カメラを向けられている、つまり映像に記録されていることに、両親は戸惑いや嫌悪は感じていないようです。
特にお父さんは、監督が撮影のために言った内容を信じているようでした。
「映像の勉強のために、身近な家族を撮影している」
「家族の思い出として、家族旅行の記録を撮っている」
というような言葉です。
お母さんは、監督(息子)の言説に少し疑問を感じているふしがあるのですが、お父さんが穏やかな表情と優しそうな笑みと柔らかい口調で、安心させるように息子の意図を説明すると、引き下がります。
この様子を見ている限りでは、お父さんは優しい人なんだろうなということが伝わってきます。
パンフレットには、厳しい父親だったと書いてありましたが、映像の中のお父さんは「とても穏やかな人」に見えるのです。
だからこそ、突然奇声を上げたり怒鳴り出したりするお姉さんを目の当たりにしても、「ちょっと癇癪を起こしている」程度の扱いを貫いている姿に、現実から目を背けているんだなというのを感じます。
自分の中で作り上げた家族の「虚像」を、「本物」だと信じていることが伝わってくるようで、胸が苦しくなりました。
父が見ていたのは「幸せな家族」という虚像
この人(お父さん)には、家族はどう見えていたんでしょうね。
自分と同じく医師であり、優秀でしっかり者の妻。
面倒見がよく勉強ができて、医師を目指す娘。
その娘が、統合失調症を患ったことで、性格、いや、人格が変わったかのようになってしまった。
急に怒鳴ったり、奇声を上げたり、会話が成立しなくなって、意思疎通が困難になる。
こういう状況になった場合は、まず病気を疑うのが通常の反応だと思います。
いや、一応一回は医者に診せているので、病気を疑うことはしているんですよね。
ただ、その医者に「何も異常はない」と言われたことを根拠に、異常はない、病気ではない、と思い込んでしまった。
少し怒りっぽくなっただけ、に見えていたのかも。
というより、見えていたんじゃなくて、そう思い込もうとしていたのかもしれません。
娘は病気ではない、異常なところなどない、何も問題は起きていない、家族は何も変わっていない、いつも通りだ、と。
なぜ母は姉を閉じ込めたのか?「パパが死んじゃってもいいの?」
監督がお母さんに、お姉さんを精神科に連れていかなくてはならない、治療を受けさせるべきだ、と強い口調で詰め寄るシーンがあります。
そのときに、「そんなことをしたら、パパは死ぬよ。パパが死んじゃってもいいの?」というようなことを、お母さんが言うんです。
この場面を見たときに、お母さんは、お父さんの心を守るために、お姉さんの病気を見て見ぬふりをすることにしたのかな、と思いました。
お母さんは、お父さんよりは、お姉さんの状態をわかっていたんじゃないかな。
だからこそ、玄関に南京錠をかけ、お姉さんを家の中に閉じ込めた。
1人で外に行けないようにした。
お姉さんが1人で外出し、何か問題を起こすと、彼女が病気であるということが、他の人にもわかってしまうからです。
お母さんは、ちゃんとわかっていたんだと思います。
自分の娘が、精神の病気であることを。
だけどそれを認めると、お父さんの心が壊れてしまう。
娘が精神の病気(統合失調症)であることを認めることができない、認めたら自分の心を守れなくなってしまうお父さんのために、お父さんの振る舞いに合わせることにしたんだろうと思います。
お父さんに寄り添い、お父さんの心を守るために。
母の認知症がもたらした、姉の回復
そうして、いびつな形で藤野家は存続していきますが、家族の誰もが老いていきます。
問題は解決しないまま。
そのうちに、お母さんに認知症の兆候が現れます。
その言動は、口調はしっかりしているものの、統合失調症を患うお姉さんと同じようなものになっていきます。
お母さんが認知症になったことがきっかけで、お姉さんはようやく医療にかかることができるようになりました。
認知症も精神症状なので、さすがにお父さん1人では手一杯になってしまったんですね。
医療に助けられ、合う薬が見つかったことで、お姉さんの症状は落ち着きます。
それまでは映像の中で意味不明のことを口走っていたり、怒鳴っていたりしたお姉さんが、何十年ぶりかに、監督(弟)に「ともちゃん」と呼びかけるようになるのです。
お姉さんのその姿を見たとき、もっと早くこうしていれば、もっと早く医者にかかっていれば、という痛切な後悔の念のようなものが沸きあがりました。
私は当事者ではないので、この件に関する「後悔」など感じようがないのですが、このときの思いはまさに「後悔」だったと思います。
もっと早く医者に連れていっていれば、お姉さんはもっと違う人生を送れたんじゃないのか? と、思ったのです。
映画を見ている観客がそう思うのだから、それを目の当たりにした監督の心情は計り知れません。
父だけが変わらない:彼の見ていた世界とは
娘が回復しても、父の心は壊れなかった
お姉さんの治療が始まったことで、発症以前のようにとは言えないけれど、穏やかな日常が藤野家に戻ってきました。
お姉さんは外に出て、花火を見たりするようになりました。
そのような変化がお姉さんに起きても、お父さんの様子は特に変わりません。
お母さんは、「お姉さんを医者に見せる=病気だと認める」ことは、お父さんの心を壊す行為だ、と心配していましたが、お父さんの心は壊れたようには見えませんでした。
お母さんは、しなくてもいい心配をしていたのでしょうか?
娘が病気であると認めることは、夫の心を壊す行為。
それは、お母さんの妄想というか、思い込みだったんでしょうか?
その思い込みがなければ、もっと早くお姉さんを医療に繋げることができたのでは?
崩壊した家庭で、ただ一人「幸せ」だった父
この映画のラストで、監督がお父さんにあることを問いかけます。
ネタバレ感想なので、何を問いかけたのかを書いてもいいんですけど、その「問い」を文章にすることにためらいを感じるので、詳細は伏せます。
その問いへの返答を聞いて、お父さんの気持ちというか、彼が家族を、お姉さんを、どう見ていたのかが、少しわかったような気がしました。
お父さんは、そもそも現実を何も見ていなかったんだと思います。
彼が見ていたのは、彼の中にある「どこにでもいる普通の、自分の家族像」だけ。
その家族像の中では、自分は良き父親であり、しっかり者の妻がいて、優秀な娘がいて、離れて暮らす息子ともうまくやっている。
何の問題も起きていない「普通の家族」の中で、父親として、夫として、医師として、研究者として、自分の思うように振る舞っていただけだった。
だから、お父さんは、他人から見ると地獄のような状態にあったこの家族の中で唯一、最後まで自分の家庭は「普通」だと信じていた人物なのかもしれません。
お母さんも、お姉さんも、監督(弟さん)も苦しんでいたのに、お父さんだけが、もしかしたら「普通」に「幸せ」だったのかもしれないと思うのです。
考察|結局、どうすればよかったのか?
「医療に繋げる」が正解。でも、それだけが全てか?
どうすればよかったか?
と問われたら、「早く医療に繋げるべきだった」と答えます。
それしかないです。
でも、この記録映像の中のお父さん、お母さん、お姉さん、監督自身を見ていると、迷いを感じます。
別個の人格を持った「自分ではない他人」が集まって家族として暮らしていく中で、それぞれがまったく違うことを考えている。
家族だからといって、わかりあえるわけではない。
最善を尽くせるわけではない。
「わたし」にとっての最善と、「あなた」にとっての最善は、違うのだから。
正解のない問いと向き合う
この問題の最重要当事者であるお姉さんにとっては、より早い医療が必要だったのは確かです。
だけど、それでずっと病院に入院し続けることになった可能性は否定できません。
発症後すぐに病院へ入院し、症状が落ち着いて退院できるころには受け入れ先は老人ホーム、という実例だってあるんです。
もちろん、寛解して日常生活に戻ることができる人も多いです。
だから、医療に繋げることが最優先なのは間違いありません。
でも、その先がどうなるのかは、誰にもわからないのです。
「どうすればよかったか?」という問いの答えは、「わからない」なのかもしれません。
まとめ|重いけれど見てほしい、心に残るドキュメンタリー
お姉さんは統合失調症を患ったことにより、何十年も家に閉じ込められていたけれど、時々は家族旅行に出掛け、最後まで家族と離れずに過ごすことができた。
それはお姉さんにとって、幸せなことだったのか?
「お姉さんがどう思っていたのか」は、この作品を見てもわかりません。
『どうすればよかったか?』は、見ている間も、見終わったあとも、心に重いものが残る作品です。
エンターテインメントとして消費するのはなんか違う、と思いつつ、いろいろな人に見てほしい作品でもあります。
とても興味深く、さまざまなことを考えさせられる作品だからです。
この作品を見て、「どうすればよかったか?」と、みなさんも考えてみてください。
※『どうすればよかったか?』は現在(2025年11月)配信されていませんが、全国各地で自主上映会が行われています。
自主上映会については『どうすればよかったか?』公式サイトを確認してください。
※直近の自主上映会のスケジュールはこちら

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